自分を見て賢いと思ってはならない、 主を恐れて、悪を離れよ。
そして人に言われた、 『見よ、主を恐れることは知恵である、 悪を離れることは悟りである』と」。
互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。
自分の目に自らを知恵ある者とする人を、 あなたは見るか、 彼よりもかえって愚かな人に望みがある。
ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。
いつくしみとまことによって、とがはあがなわれる、 主を恐れることによって、人は悪を免れる。
事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。
わざわいなるかな、彼らはおのれを見て、賢しとし、 みずから顧みて、さとしとする。
主を恐れることは命の泉である、 人を死のわなからのがれさせる。
兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、
わたしより以前の総督らは民に重荷を負わせ、彼らから銀四十シケルのほかにパンとぶどう酒を取り、また彼らのしもべたちも民を圧迫した。しかしわたしは神を恐れるので、そのようなことはしなかった。
モーセは民に言った、「恐れてはならない。神はあなたがたを試みるため、またその恐れをあなたがたの目の前において、あなたがたが罪を犯さないようにするために臨まれたのである」。
そこで、ダビデは地から起き上がり、身を洗い、油をぬり、その着物を替えて、主の家にはいって拝した。そののち自分の家に行き、求めて自分のために食物を備えさせて食べた。
主を恐れるとは悪を憎むことである。 わたしは高ぶりと、おごりと、悪しき道と、 偽りの言葉とを憎む。
知恵ある者は用心ぶかく、悪を離れる、 愚かな者は高ぶって用心しない。
富を得ようと苦労してはならない、 かしこく思いとどまるがよい。
愚かな者にその愚かさにしたがって答をせよ、 彼が自分の目に自らを知恵ある者と見ないためだ。
富める人は自分の目に自らを知恵ある者と見る、 しかし悟りのある貧しい者は彼を見やぶる。
自分の心を頼む者は愚かである、 知恵をもって歩む者は救を得る。